ただいまです。

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土曜日に 母の納骨のために京都へ行ってきました。

京都駅前の京都タワーの先にある東本願寺です。

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ちょうど29年前の12月はじめにも同じように分骨した遺骨を収めるために東本願寺を訪れました。その時は、父の納骨のために。
今回は、父の納骨以来の京都でしたので29年ぶりになります。

私の生まれた家は、仏教で浄土真宗(大谷派)です。家のお寺は浜松町にありますがそのお寺の本山が京都の東本願寺になります。

74年前に亡くなった祖父のときも、52年前の伯母のときも 29年前の父と祖母のときも 火葬場でほんの少し遺骨を別の小さな骨壺に分けておいていただいて それを本山に収めに来ました。

なぜそんなことをするのか・・・29年前には全くわかりませんでした。ただ、父が元気なころから 
『うちは、女の子だけだから・・・遠くへお嫁さんに行ったりしたらなかなか浜松町のお墓にだってお参りに行けないだろう。京都の本山に分骨しておくと 日本中の浄土真宗のひとや宗教に関係ないひとさえも たくさんお参りしてくれる。だからうちは必ず京都へ収めるんだよ。』と言っていたのを覚えています。

あれから29年。私も仏教がなにか・・とか宗教については いまだによくわかりません。それでも縁があって、実家のお寺の世話人を6年前から。そして3年半前からは、その寺の門徒総代をすることになりました。そのため、法話会やお寺の行事のお手伝いに伺いますので わからないながらも 多少は 29年前よりも 心に響くものがあります。

東本願寺での収骨の手順などは 29年前とさして変わらないままに 一連の儀式が終わりました。

8月4日に母が亡くなり、葬儀、告別式、初七日から四十九日までの法要など ずっと続いてきたことも今回の京都本山の収骨で一区切りとなりました。

母も 親鸞聖人の御傍で 父や祖母と一緒に 静かにこれからの私たち家族を見守ってくれることと思います。

母が亡くなって以来・・・毎日、朝晩に 家のお内仏(仏壇)にお茶とお水と仏飯を供えて お経をあげています。朝は正信偈、夜は仏説阿弥陀経と決めています。

手を合わせ心静かにお勤めしますが お願いはしません。亡き人に供養するとかお願いすることなんて何もないのだということを知ったから。その逆でした。大切な人、亡き人は ただただ願っているのです。残されたもの(私たち)がひととして、しっかり生きなさいと・・・。願われて生きる。このことだけを 今回一緒に京都へ行った24歳になる姪に話しました。

12月も残り半分。私も地に足をつけて しっかりと丁寧に日々を過ごそうと思います。

東本願寺の回廊に 『歓びが増えたからといって その人の中の悲しみがなくなったわけではない』

とありました。ささやかな日々の中で ささやかな幸せを見つけ 笑顔になり、 楽しそうに過ごす時間が増えながら日々を生きていても 人がその中に抱えた悲しみは 決してなくなってはいない。人間存在の真実を言っていると思いました。僧侶に先導され後ろをついて歩きながらふと目に入った 言葉でしたが・・。誰しも心の中、体の中に深い悲しみを抱え、それでも今日を生きている。心が震えました。

今年もあと二週間ほどで終わります。悲しみの淵にいても 時は同じように流れます。大切な人の願いを受け止めて 誰しもが 歓びも悲しみも抱えながら懸命に 生きるしか道はないのだと 再認識した京都でした。しっかりと歩けるように ただまっすぐに願ってくれている 大切なひとがいるのですから。

年が明けて、夏がくると 私は55歳になります。あと2年で父が亡くなった年齢になる。きちんと生きているのだろうか・・・これでいいのだろうか・・・誰も答えてはくれません。いつもいろんなことに迷ったまま 年だけを重ねてきました。ですが、本堂に座って手を合わせると 静かで優しい空気に包まれるような気持になりました。

悲しいこと、辛いことの多かった年の終わりに 京都へ行けて 本当に良かったです。

しっかりといつものように今日からまた歩き出そうと思います。

今日の通勤は グレーのグラデーションで。

  スカート  : BRUSHED WOOL MERANGEスカート(MHL)

  ニット   : 透かし編みニット(マーガレットハウエル)

 アウター  : ダウンライナー付きステンカラーコート(MHL)

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by hana2724 | 2014-12-15 12:13 | 日々のこと